台湾の行事 端午節とは何?

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今回は、台湾の節句「端午節(たんごせつ)」について紹介します。台湾で重要な祝事として大切にされている「端午節」ですが、それは一体なぜでしょうか?ご興味のある方は是非ご一読ください。

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端午節とは何?一言でいうと ・・

端午節(たんごせつ)というのは、中華圏の三大節句の一つです。

端午節の由来となっている人物がいる

この端午節という祝事は「古代中国」と言われている戦国の時代に存在した、「楚(そ)」という国の「政治家であり詩人だった人物」が由来になっている。と云われています。

次章で詳しく説明しますが、屈原(くつげん)」という人物です。

端午節の時期

端午節の時期は春で、旧暦の5月5日に当たる日が端午節の時期となります。

端午節は中華圏で、とても大切にされている祝事の一つで、中華圏では連休の祝日になります。

端午節といえば?

端午節で有名なのは、『ちまき』を食べることと、『ドラゴンボートレース』の観戦です。

ちなみに、中華圏の端午節は日本の「端午の節句:子供の日」ではありません。

台湾(中華圏)の三大節句については、当サイトの別記事台湾の3大節句~概要~をご覧ください。

端午節は『ちまき』が有名

端午節に『ちまき』を食べるのは何故でしょうか?

その理由は、端午節の由来となっている人物が関係しています。

端午節に「ちまき」が食べられる理由

その人物は、昔存在した楚という国にいた「屈原(くつげん)」という人です。

詳しい理由をお話すると若干長くなりますので、まずは結論からお話します。

屈原は、旧暦の5月5日に汨羅江(べきらこう)という川に身投げをして亡くなりました。

楚の国民は、屈原の死をとても悲しみ、屈原の身体が川魚に食べられるのを防ぐために、魚の餌として川にちまきを投げ入れたと云われています。

これが、端午節に『ちまき』が食べられるようになった由来です。

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端午節は『ドラゴンボートレース』が有名

端午節といえば『ドラゴンボート』です。

漢字では「龍舟(ロンヂョウ:lóngzhōu)」と書きます。

ドラゴンボートレースは、日本では認知度の低い競技ですが、その他アジアやヨーロッパを中心に、国際的な近代スポーツとして近年人気が出てきています。

なぜ、端午節には「ドラゴンボートレース」なのでしょうか?

端午節に「ドラゴンボートレース」が行われる理由

この理由も、端午節の由来となっている歴史上の人物、屈原(くつげん)に関係しています。

屈原は、旧暦の5月5日に「汨羅江(べきらこう)」という川に身投げをして亡くなりました。

「屈原」の自殺を知った楚の人々は、急いで舟を出しました。

そして「屈原」の身体が川魚に食べられてしまわないように、舟を漕ぎながら太鼓を鳴らし、餌としてちまきを川に投げ入れながら「屈原」の亡がらを探したそうです。

この出来事が、現在の『ドラゴンボートレース』の由来になっていると云われています。

ちなみに端午節は、無病息災を祈る行事でもあります。

『ドラゴンボートレース』前には、神様に安全を祈願する祭礼も行われています。

屈原はどんな人物だったのか?

端午節の由来になっていると言われる「屈原(くつげん)」は、一体どのような人物だったのでしょうか。

屈原は、古代中国といわれる戦国時代に存在した、「楚」という国の王族の一人で、当時「楚」の王であった「懐王(かいおう)」から高い評価を受けており、厚い信頼を得ていました。

屈原は、その王族の中でも名門出のエリートで、政治の才があり非常に頭の良い人物だったようです。

また、詩人としても非凡の才能がある、非常に有名な人物でした。

屈原の代表的な詩集

 中国で最古の詩集といわれている、2つの有名な詩集があります。

  • 北方の「詩経(しきょう)」
  • 南方の「楚辞(そじ)」

この2つの詩集のうち、南方の「楚辞(そじ)」が屈原の代表的な詩集として有名です。

屈原が亡くなった理由

何故、有名で非凡で多才な「屈原」が自殺をすることになったのでしょうか?

その理由について、見ていきましょう。

親秦派と親斉派

当時、屈原(くつげん)の国であった「楚(そ)」は外交相手で悩んでいました。

「楚」が安定するためには、信頼できる国と良好な外交関係を結ぶ必要があったのです。

その外交相手として候補になっていたのが「秦(しん)」という国と、「斉(さい)」という国でした。

「楚」ではどちらの国と外交を結ぶかで、意見が2つに分かれていました。

秦を薦める「親秦派」と斉を薦める「親斉派」です。

屈原は親斉派

その中で、屈原は「親斉派」として、先頭に立ち、王へ進言する立場にありました。

屈原は、「斉国」との外交こそ「楚」に明るい未来をもたらすと信じ、当時「楚」の王であった懐王(かいおう)に、「秦」ではなく「斉」と外交を結ぶことを説きました。

しかし、最終的に懐王は、対立する「親秦派」の意見を聞き入れ、秦からの使者「張儀(ちょうぎ)」の誘いを受け入れ、「秦」を同盟国に選んだのです。

裏切られた屈原の国

「秦」との同盟を結んだ「楚」でしたが、後に「楚」は「秦」に裏切られます。

そして「楚」は、「秦」と戦うことになるのですが、結果は大敗。

そこから「楚」の国力は衰退していきます。

屈原はこれ以上、裏切った「秦」と関わるべきではない、信用すべきではないと懐王を説得しますが、その説得もむなしく懐王は秦からの話に乗ってしまうのでした。

そして懐王は「秦」に囚われてしまいます。

その後、「楚」の中で屈原の立場が悪化する中、「秦」の侵略は更に激化し、ついに「楚」は奪われてしまいます。

屈原は、侵略された「楚」の状況を深く悲しみ、国の未来に絶望し、汨羅江(べきらこう)という川に身を投げた。と云われています。 

現地での端午節の過ごし方

端午節(たんごせつ)には、各地で『ドラゴンボートレース』が開催されます。

ゴールにある旗を目指してボートを漕ぎ、先に旗を取ったチームが勝つこの競技を、家族や友人と揃って観戦して盛り上がるという人が台湾では多いようです。

そしてもちろん『ちまき』です。

台湾全土、沢山のお店で色々な種類の『ちまき』が売られており、みんなちまきを食べています。

この端午節の時期に台湾旅行をする予定のある方は、「ちまきの食べ比べ」をしてみるのも良いですね。

まとめ

    端午節(たんごせつ)は、中華圏の三大節句の一つで、古代中国といわれる戦国時代に存在した「楚(そ)」という国の、『屈原(政治家であり詩人)』が由来となっている行事です。

    旧暦の5月5日に当たる日が端午節の時期となり、中華圏でとても大切にされている祝事となります。

    台湾もこの時期は連休となり『ちまき』を食べることと、『ドラゴンボートレース』観戦で賑わいます。

    この時期に台湾旅行を計画している方は、端午節の日を狙って、ちまきの食べ歩きや、ドラゴンボートの観戦を楽しむのひとつですね。機会があれば、是非足を運んでみてください。

    最後までお読みいただき、有難うございました。

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